宣教師のコーナー


井野 葉由美 (Hayumi Ino) 宣教師

プロフィール

1993年、ドイツ留学中(声楽)に洗礼を受ける。関西聖書学院卒。
2006年5月よりアンテオケ宣教会派遣宣教師として

北ドイツJCFにて邦人伝道に従事。



ご挨拶


このホームページをお開きいただき、ありがとうございます。
聖書の指し示すイエス・キリストに出会って以来、私の人生は変わりました。
自分の人生に意味があることが分かり、希望を持って生きることができるようになりました。
誰でもキリストに出会うならば、その人生が意味のあるものに変えられていきます。
神は遠くにおられるのではなく、私たちのすぐそばにおられるのです。
ご質問やご相談のある方はどうぞお気軽にご連絡ください。
お待ちしています。


宣教師の勝手なおしゃべり

2017年3月27日
気が付けば、今年に入ってもう3か月が過ぎようとしています。今年はマルティン・ルターが95か条の提題をヴィッテンベルクの城教会の扉に貼り付けて、宗教改革を始めてから500年。もう一度信仰を新たにされたいと、掲げた年間聖句は、へブル書11章6節。「信仰がなくては神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」この御言葉を掲げて以来、自分がいかに、信仰ではなく、現実だけを見て、実現でき得る範囲内でしか考えて来なかったことを示されてきました。大胆に、不可能と思えることも、神がともにいて助けてくださるなら実現できる!という信仰を増し加えられたいです。

2016年7月9日
先週の日曜日は、Josua-Gemeindeにて、ドイツ・韓国・エチオピア・日本の教会合同で、「多文化礼拝」でした。Josua-Gemeindeはバプテスト系の教会で、ドイツの教会ですが、牧師がブラジル人のためか、外国人も多く集っています。スコットランド人やアメリカ人など、もともとのクリスチャンも集っていますが、トルコ人、イラン人がドイツに来てイエス・キリストを信じ、集うようになっています。特にイラン人が増えているようで、現在12名とのこと。まだドイツ語が不自由な方も多いので、他の、イラン人教会の方が毎週通訳に来てくださるそうです。イラン人教会は午後礼拝で、そちらは200~300人集っているそうです。すごいですね~。
日本語教会は、韓国教会とともに「君は愛されるため生まれた」を韓国語と日本語で賛美しました。「これこそ、ともに礼拝する醍醐味」と、喜んでいただきました。

2016年1月9日
新年となり、1週間が経ちました。弟子訓練に取り組み始めて、今年はその4年目。今年のキーワードは「弟子を育てる」。神学校の頃から「弟子を育てることのできる弟子を育てるように」と言われていましたが、なかなか実践が伴いませんでした。いよいよ今年は教会員一人一人が周りの人をキリストの弟子となるように育てていくことにチャレンジします。みことばは、マタイの福音書28章の19節と20節から「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」です。これは教会の使命です。整えられてから一歩を踏み出すのではなく、一歩を踏み出す時に整えられていくと信じます。私自身も神が新たなステージを用意してくださっているのを感じますから、一歩を踏み出そうと思います。

2015年4月13日
昨日は洗礼式が行われました。会堂をお借りしているドイツ語教会とスペイン語教会と合同でした。予定の受洗者は、ドイツ語教会から3名と日本語教会から1名。昨日の洗礼式には、格別の祝福が注がれました。ドイツ語教会の年配のご婦人も「ずっとこの教会に集って来たけど、こんなのは初めて経験した。」と言っていました。それはどういう事かと言うと・・・。この日メッセージを担当したスペイン語教会の牧師が、「洗礼は個人的決断であって、公けにその信仰を表明する第一歩である。聖書によれば、まず信仰があって、その表明として洗礼がある。幼児洗礼では、あなた個人の信仰が表明されていない。あなたはもうずっとイエスを信じ、ともに歩んできたかもしれない。でも、あなたの信仰の表明としての洗礼をまだ受けていない人、今日あなたは招かれている。聖書の求めるような聖なる人になれていなくても、今日決心するなら、あなたは洗礼を受けられる。」と招いたところ、なんと7名が決心して、その日予定の4名と合わせて11名が洗礼を受けたのです!ハレルヤ!すごくわくわくする体験でした。神様は私たちの予想を超えたことをなさる方です。


2015年1月27日
今年の日本語教会のキーワードは「神の国の拡大」。御言葉は、「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。」(ルカの福音書12章、31,34節)を選びました。教会内部の事だけにとどまらず、神からの高い視点を持ちたいと願います。今年も春には、メンバーが二人日本帰国の予定です。そのうちの一人は、「私は日本に宣教するために、ハンブルク日本語教会から派遣される」という明確な意思を持っています。神さまがOさんに与えてくださったこのすばらしいヴィジョンが実を結ぶよう、皆さんもどうぞお祈りで支えてください。

2014年12月4日
毎年日本語教会はアドヴェントの時期にクリスマス・マーケットにキャロリングに出かけています。もともとは、日本語教会の存在を知ってもらうために始めたのですが、現在は、ドイツ語のフライヤーを用意して、ドイツ人に福音を伝えるチャンスとして行っています。今年はまず第1アドヴェントの11月30日に出かけました。今回は音楽学生が何人かはいってくださったので、即興の4部合唱になりました。ア・カペラなので、時々、音程が狂ったりもしましたが、まあ何とか。通りがかった合唱指揮者の方が、「あなたがたはどこで演奏しても申し分のない、素晴らしい合唱団だ」とほめてくださいました。一度も練習していない、即興なのに…。アジア人らしき方にも何枚か、日本語のフライヤーを渡しました。すると後日、メールが送られてきたのです。エッセンから、週末を利用してハンブルクに来られた、ドイツ人のご主人と日本人の奥様。4か月前にドイツに来て結婚したばかりの日本人の奥様が、日本を懐かしく思っていたところ、日本語の歌が聞けてとても喜んだとのこと。ドイツ人のご主人がわざわざメールをくださいました。私たちの歌が彼女の心の慰めになったことを知り、神に感謝しました。


2014年6月16日
今年のキリスト昇天記念日(5月29日)に全ドイツカトリック大会の野外礼拝(Regensburg) の様子がテレビで放映されていました。グレゴリオ聖歌のような伝統的なメロディーが無伴奏で歌われた後、いきなり「讃美しよう、手を打ちならそう、踊りだそう」というラップが入り、その後はポップなメロディーの賛美がキーボード、ギター、ドラムの伴奏でささげられました。その賛美の雰囲気は、ドイツのルター派の教会(プロテスタント)より、ずっと、ポピュラーで現代的だと感じました。
今年のカトリック大会のテーマは「Mit Christus Brücke bauen」(キリストとともに架け橋となる)。そこで語られたメッセージがとても印象的でしたので、お分かちいたします。「キリストと人々の架け橋になることは、神父や宣教師、シスターだけの仕事ではない。洗礼を受けたすべての人は、この務めをキリストから託されている。キリストの愛を人々に流す架け橋となり、人々の間で愛が通うように、キリストとともに働くのだ。」私はこのメッセージに、心から「アーメン」(その通りです)と同意し、カトリック教会でこのようなメッセージが語られている事に感動しました。


2014年4月25日
なんと1年以上経ってしまいました。今年神様がハンブルグ日本語福音キリスト教会に与えてくださったみことばは、「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(Ⅰペテロ2:9)です。昨年「弟子訓練」に乗り出した私たちですが、神様は招きに応えた人々に豊かに臨んでくださり、一人一人が主にあって成長させていただいています。今年はその流れでさらに進んで、「祭司としての役割=とりなし」を担えるように成長させていただきたいです。


2013年3月26日
受難週に入りました。今年の受難週は、できるだけ教会で過ごしたいと思い、今日はヤコビ教会のお昼の礼拝に行って来ました。ヤコビ教会は有名なオルガン製作者、アルプ・シュニットガー製作のオルガンが入っている、オルガニストには憧れの的の教会です。リスト作曲のオルガン曲「十字架の道」の演奏の合間合間に牧師が短いメッセージを語って下さったのですが、とても心に染みましたので、以下にお分ちいたします。リストの曲は、十字架を担いで歩かれるイエスが倒れる様を描いていますが、実は聖書には、「イエスが倒れた」という記述はありません。でもクレネ人シモンに十字架を背負わせたという事は、イエスは、もう十字架を担えなかった、倒れてそれ以上歩けなかった事を示しています。聖書には「私たちも自分の十字架を負いイエスについて来なさい」と書かれていますが、その十字架が重すぎて、「もう駄目だ、これ以上歩けない」と倒れる時、同じように倒れているイエスを見出すのです。そして「私も十字架の重みに耐えかねて倒れたのだよ」と慰めて下さるイエスを見出すのです。・・・という内容でした。そして私は、神がイエスのためにクレネ人シモンを備えて下さったように、私たちのためには、ともに重荷を負ってくれる方として、イエスを備えて下さるのだな、と思いました。深い味わいのオルガン演奏とともに、密度の濃い時間を過ごす事ができ、幸いでした。


2013年3月11日
東日本大震災から2年です。今日はブレーメンの聖書の会に行って来ました。
被災された方は、今もまだまだ復興には程遠い生活をなさっている事と思います。その中で、原発を稼働させようとしている日本は、いったい何なんだろうと思います。「経済を復興しなくては」と言われますが、他者を犠牲にして成り立つ経済の豊かさは、まさに罪の核心、自己中心そのものです。「原発が無ければ日本はやっていけない」とも言われます。確かに、今と同じ生活はできないかもしれません。でも、日本みたいに便利な国は他にありません。そこまで便利になる必要はないです。日本を離れて住んでいるからこそ、その事が良く分かります。半袖を着ていれば、そんなに暑くもない秋に、長袖の上にジャケットを着て、そしてクーラーをつけているなんておかしいです。今の日本は、ヒトラーを生みだした頃のドイツに似ていて、とても不安です。
震災で生き残った私たちは(被災していない日本人もすべて「生き残った」と言えると思います)、震災で亡くなられた方々に託された責任があると感じています。


2013年1月28日
毎年、年が明けると、「このコーナーを更新しなければ」という思いになります。
昨年は、ハンブルグ日本語福音キリスト教会にとって、非常に大きな転機が2つもありましたから、もっと頻繁に更新できたら良かったのですが・・・、すみません。
礼拝場所は7月から新しい所に移りました。入口が狭い、天井が低い、暗い、子どもたちの部屋が遠い・・・と、これまでに多くのマイナス要素が指摘されていますが、それでもだんだんと慣れて来ました。動かされたのは神ですから、これから新しい方も送って下さると期待しています。また、7月9日付で、公益法人として、登録されました。そこに至るまでに、公証人や税務署とのやり取り、規約の書き換えなど、苦手な事務手続きのオンパレードで、結構大変でしたが、許可が下りてほっとしました。でも事務手続きはそれで終わりではなく、新たな銀行口座の開設、今までの口座の解約と、昨年はそれに心囚われて過ぎて行ったような気がします。気が付けば、教会内部、また周りの方々へのケアがおろそかになっていたと気づかされました。

2013年日本語教会のために与えられた御言葉は、「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ書3章16節)です。キリストのことばが私たちのうちで命を持って動き出すように、しかもそれを自分だけでなく、教会という共同体として取り組むようにと示されています。


2012年5月29日
なんと1年4カ月ぶりです。ずっと更新しなくてごめんなさい。気になりつつ、今に至ってしまいました。
今年日本語教会に与えられた御言葉は、エレミヤ書33章3節「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」です。この御言葉が示された昨年末、2012年は、きっと動きの多い年になるだろうという、漠然としたイメージがありました。そして実際に年が明けてみると・・・・。本当に怒涛がやって来ました。ドイツ語の規約が完成し、教会登録にいよいよ手を付け、7月から礼拝場所を移転するという総会決議がなされました。教会登録も、礼拝場所移転も、日本語教会始まって以来、初めてのことです。21年の歴史の中で、とても大きな二つのことがこの2012年に起こることになり、「神様助けて!これで本当に良いのですか?これが神様が私たちに用意しておられる道ですか?」と神を呼ぶ毎日です。こうなる前にこの御言葉を私たちに与えて下さっていた、神様のご配慮に脱帽です。神様はきっと私たちの理解をはるかに超えた、大いなる計画をお持ちなのでしょう。変化の大きさに右往左往しながらも、神に期待している2012年です。



2011年1月22日
昨年11月にハンブルグ日本語福音キリスト教会の規約が決議され、2011年1月1日より効力を持ち始めました。本日、会員制が導入されて初めての年次総会が開かれました。集まった人々で真剣に今年度の活動、会計について考えました。今年の御言葉は、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」(マタイ16:18)昨年は神様が私たちの視野を拡げてくださったので、今年度は、しっかりとキリストに根差し、教会はキリストのものである事を覚えて、教会形成をしていきたいと願っています。

2011年1月6日
ほとんど1年ぶりです。思う事はいろいろとあったのですが、なかなか書けないままに時が過ぎて行ってしました。
年末から寒さが緩み、雪もほとんど解けかかっていますが、一時は私のバルコニーの雪はひざぐらいまでありました。その時思ったのは、「雪って明るいんだなぁ」と言う事。一面の雪で、夜でもほんのりと窓の外が明るいのです。「蛍の光」の歌詞は、「蛍の光や窓の雪あかりで勉強した」と始まるのですが、以前は、「そんな事ありえない」と思っていました。でも今は、「確かに可能性があるかも?」と思うようになりました。その位明るいのです。また、一面が白で覆われた時、「あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる」と神が言って下さった事を、本当に嬉しく思いました。

今年の年間聖句についてなど、また日を改めて書きたいと思います。(願わくは、1月中に書きたいです)
2011年、さらに神との交わりが密になる年でありますように。


2010年2月11日
おとといから3日間、北ドイツ自由福音教会の牧師研修会に行ってきました。テーマは教会開拓と教会形成。私たちの特殊な教会にすべてが適用できるわけではありませんが、目が開かれる事も多々ありました。さらに興味深かったのは、他の参加者の方々との交わりです。「今年はドイツ人の方々とも協力する」とヴィジョンを掲げた途端、さまざまな協力の可能性が開かれてきました。神様のスピードに私たちがついて行けるのか?というくらい、神様ご自身が事を進めておられるのを感じます。

今年の北ドイツは雪が多く、クリスマス前からの雪がずっと残っています。町の中心のアルスター湖も13年ぶりに凍りました。


2010年1月12日
新年を与えて下さった神様に感謝し、ほめたたえます。
2009年最後の礼拝後、お茶の時間に「夢と幻を語る会」をいたしました。「夢なんだから、実現可能かどうかは考えないで、大きく風呂敷を広げて、でっかく行こう!」という主旨で行ったのですが、結構出てきた意見は実現可能そうなものが多く・・・。その中でも複数の人が、ドイツ人と協力したい、ドイツ人にもキリストを伝えたいという意見を出してくれて、私はとても嬉しかったです。私の中で、2010年のハンブルグ日本語福音キリスト教会のヴィジョンは「ドイツ人にも十字架の光を輝かせる教会」でしたので、教会員の中にもその機運が高まっていて、神が時を備えて下さっているのを感じました。という事で、今年の聖書のことばはローマ書10章12節「ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。」を選びました。隔ての壁がイエス・キリストによって打ち壊され、すべての人を、主が恵みをもって見ている方として受け入れる事ができるようになりたいです。なかなかそれができなくて情けなくなる事も多いですが、それでもこの御言葉を今年1年心に留めたいと思います。


2009年11月2日
今日、「メモリアルフォトギャラリー」を更新していて気付いたこと・・・メモリアルフォトギャラリーの中の写真は、いつも特別行事の写真だから、これを見て、普段の礼拝の様子はわからないのではないから?これだけを見ると、私たちの教会っていつも遊んでいるみたい・・・。いえいえ遊ぶのは大切なことです。イエスさまも人々といつも楽しく食事をしておられました。・・・でも初めてこのホームページを見る方に普段の礼拝の様子もお知らせすべきかな?と思いました。「教会案内」のページに写真を入れたら良いかしら?
こんなどうでもいい事を書いてしまいましたが、「勝手なおしゃべりコーナー」だからお許しくださいませ。


2009年10月17日
北ドイツの秋は日が短くなり、お天気も雨が多く、寂しさを感じるものですが、時々秋晴れの美しい日もあります。先日、そのような秋晴れの美しい日に、ハンブルグ教会の60代のご婦人が素晴らしいお話をされました。あまりにも感動しましたので、皆様にもお分ちいたします。
彼女のお宅近くに菩提樹の並木道があり、その美しい秋晴れの日、色づいた木々の間から柔らかい秋の陽射しがこぼれてきていました。黄色く色づいた葉に、彼女は「この木の状態は人間で言えばちょうど私くらいかしら?少しずつ衰えてきて、髪の色も変わって・・・」と思ったそうです。しかしその少し衰えて色づいた葉を神様は柔らかい太陽の陽射しによってこんなにも美しく装ってくださる、嬉しいな~と思った時、良く見ると、まだ元気で青々としている葉よりも、色づいて黄色くなった葉の方が、太陽の光を良く通して、より美しいのに気付いたそうです。「そうか、私たちも衰えて弱くされているからこそ、神様の光がより注がれて、通って行くんだわ」と思ったそうです。素晴らしいですね。
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(Ⅱコリント4:16)
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(Ⅱコリント4:7)


2009年9月24日
毎年開催されるヨーロッパキリスト者の集い。ヨーロッパ中から日本語を使うキリスト者が集まってきます。フィンランドで行われた今回の集いはすでに26回目を数え、私自身は今年が12回目の参加。毎回大きな恵みを受けますが、今年は私にとっても転機となるような思い出に残る集いとなりました。
2006年ドイツに来て以来、毎週の礼拝でずっとヨハネの福音書を少しずつ読んでいて、ようやく15章に来ていました。有名なぶどうの木のたとえのくだりです。「イエスにとどまるとはどういう事だろう」と思いめぐらしていた頃、キリスト者の集いに参加しました。そこで語られたメッセージの中で、私に浮かんだ一つのイメージ。それは、私の手が木の枝のように伸びて、その鋭い先端が十字架上のイエスの脇腹を突き刺しているというものでした。私がイエスを突き刺したその図は見たくないものでした。でもそこから目をそらさず、自分の突き刺した方を見上げていると、イエスの脇腹から流れる血が、私の腕をつたい、私の内に流れ込んできたのです。そのとき同時に、イエスの愛と赦しが圧倒的に私の内に臨みました。私がイエスを突き刺したからこそ、イエスにつながっていられるのだと、改めて思わされ、ここから目をそらさず歩みたいと思いました。
もう1点、神様が目を開いてくださった事があります。2006年に私がドイツに来る前、神様は私に、生きたキリストとの関係を失っているドイツ人のためにも私をドイツに遣わすのだと語ってくださっていました。しかしこの3年、日本語教会の働きに埋没して、ドイツ人への思いを忘れかけていたのです。今回の集いで、神様はもう一度この最初のヴィジョンを鮮やかに見せて下さいました。
神様は真実な方です。必ず私たちを導いてくださいます。このすばらしい神様をほめたたえます。


2009年7月12日
「なかなか更新してませんね」というご指摘を受けましたので、今日の礼拝でお話しした神様のわざをご紹介します。
ヴァイオリン学生のJさんは、今年3月、イエス・キリストを個人的な救い主として心にお迎えするお祈りをしました。そして、「受洗したい」という思いを持って、洗礼準備会を始めました。ドイツ人は水をとても大事にするので、「ドイツ人教会で洗礼式がある日に合わせて日本語教会でも洗礼式ができれば良いな」と思い、「近々洗礼式の予定がありますか?」と聞くと「あります」とのお答え。「では決まったら教えて下さい」とお願いしていたら、5月末に「洗礼式は6月14日に決まった」との事。えっ?あと2週間しかない!・・・Jさんはヴァイオリンの学生で、日曜日にコンサートが入る事が多いので、「もう無理かも」と思いつつ尋ねてみると、本番ではないけれど、本番前のオーケストラ合宿がその週末に入っているとの事。彼女はそのコンサートで、メンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルトのソロを弾く事になっていたのです。しかし彼女は、自分の曲を合宿の最初にしてもらい、自分は土曜の夜に帰って来れるように交渉してみると言いました。「そんなわがままが許されるのかしら?」と思いつつも、神ご自身がこの日をJさんの受洗日と決めて下さるなら、不可能に思える事も神が御手を動かして可能にして下さるだろうと、「御心を成して下さい」と祈りました。結果は・・・・・。何と神様はオーケストラ合宿の日程全部を別の週末に動かしてくださったのです!このお知らせを聞いた時には、神様のご真実さに恐れを覚え、鳥肌がたちました。こうしてJさんはその週末フリーとなり、神が定めて下さった受洗日に、喜びの内に受洗する事ができたのでした。ハレルヤ!
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」Ⅰコリント2:9



2009年2月16日
今年、ハンブルグ日本語福音キリスト教会のために与えられた聖書の言葉は
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」箴言3:5
去年ドイツに戻ってから、ずっと健康状態がすぐれなかったので、きっとこれは「自分の力に頼らないで、いつも神の力ですべての事をさせていただきなさい」という神様からのメッセージなんだろうな、と感じていました。ところがちょっと元気になって身体が動くようになり、多少の無理も利くようになると、今与えられている健康への感謝も忘れ、やっぱり自分の力で突っ走ってしまう私。少しは学べる者になりたいです。
日々神に感謝する者となれますように。


2008年11月17日
11月11日、再びドイツに戻って参りました。
日本での3か月、本当によく守られたと思います。一度も病気をすることなく、すべての予定していた教会を訪問する事が出来ました。どれだけ多くの方が私のために祈って下さっているのかと思うと感謝で胸が熱くなります。この3カ月の間に、よく知っていた方が相次いで亡くなりました。そのうちのお一人は、井野 葉由美を支える会会長夫人で、くも膜下出血の突然死でした。ほんの少し前訪問した時には、明るい笑顔で手料理をふるまって下さって、「私もドイツへ行きたいわぁ」おっしゃっていたので、にわかには信じられませんでした。ご家族にとっては、あまりにも突然の事で、受け入れがたい事でしょう。お祈りしている最中に倒れられたとの事、まっすぐイエス様のもとに旅立たれたのだと思います。
今は元気だと思っていても、人間何が起こるかわかりません。今日私の命が終わるとしても「喜んでイエス様のもとに参ります」と言えるよう、日々を歩んでいきたいものだと思わされました。


2008年8月18日
また5カ月も経ってしまいました。今日本に向かう飛行機の中です。
2006年5月にドイツに来て以来、初めての日本帰国です。なんだか不思議に興奮しています。ドイツに来たばかりの頃は結構必死で、肩に力が入っていたなぁと今思えば思います。責任の重さに「自分一人で負わなければ」と気負っていたように思います。いつぐらいからでしょうか?たとえ上手く行かなくても、すべての責任は結局イエス様が負って下さるのだと思えるようになりました。そして私の務めは、ただ上を見上げてイエス様に対する責任を果たしていくことなのだと思いました。見るべきところは人ではなく、イエス様だと気づいた時、「御霊のあるところには自由があります」という御言葉に出会い、本当に自由を感じました。
ハンブルク、ハノーファーの皆さんもこの2年で神にあって成長された事を感じ、「成長させて下さるのは神なのです」という御言葉にただ「アーメン」と答えるのみです。日本での3ヶ月で、私もまた様々な出会いを通して、神によって成長させていただける事を期待しています。


2008年3月21日
今日はKarfreitagで、イエスが十字架にかかられた記念の日です。
日本語教会では、この日は特別な行事がありませんので、どこかの教会の礼拝に参加するか、受難曲のコンサートを聴きに行くか、と思っていましたが、結局自宅で、知人からお借りしていた、バッハ作曲マタイ受難曲のDVDを鑑賞しました。なんと日本語字幕付きでしたので、内容が良くわかり、感動しました。バッハはやはり天才と、改めて思いました。そして、本当に、ただ信仰によってこの受難曲を作曲したのだなぁと、バッハの信仰に打たれました。福音史家とイエスその他の登場人物のせりふは、聖書の記述そのままなのですが、合唱とアリアはその場面にふさわしい感情表現が挿入されています。その歌詞が、あまりにもその場面にふさわしく、聖書の記述に対する、信仰の応答として、歌われているのです。まさにバッハの信仰告白と言えるでしょう。現代の私たちも、バッハと一緒になって、同じ信仰告白をする者でありたい、と思いました。


2008年3月2日
なんとまぁ、2008年も既に2ヶ月が過ぎてしまいました。
最近考えていることは「燃え尽き症候群」。2月にドイツの自由教会の牧師研修会に参加させてもらったのですが、そのテーマが「燃え尽き症候群」だったのです。「日本なら分かるけど、ドイツにもあるのね。」と思っていると、講師の先生が、「日本人の参加者がいるなんて嬉しい!日本はこの問題の最先端を行っている!」と言われました。はい、確かに、その通りでしょう・・・。2日間の講義を聞いて、私も考えさせられたことがいくつか。「まず自分のケアをしてからでないと、他人のケアはできない」、「私たちはよく『休めない』と言うけれど、『休まない』という決断をしているのは結局は自分自身」など・・・。私も予備軍かしら?と考えてしまいました。今までは健康を与えられ、当たり前のようにこの身体を使って生きてきたけれど、考えてみれば、この身体も私自身のものではなく、神様からの大切な預かりもの。自分勝手に無理に酷使してはいけないんですよね。ちゃんとメンテナンスをして、大切に使ってあげなくては…。自分の健康を過信してやりたい放題やって来たので、この頃身体に少しガタが来始めています。ちょうど良い時にタイムリーな講義を聞けた事を神に感謝!


2007年11月18日
ほとんど半年ぶりです。
先日、ドイツの方と話していて、「なるほど!」と思ったことをひとつ。ドイツ語には
「religiös=宗教的」という単語と「gläubig=信仰がある」という単語があり、彼らがそれを使い分けていることを発見しました。つまり「あの人はreligiösだが、gläubigではない」という風に使うのです。これって、新約聖書の中で、パリサイ人に言われているのと同じ表現だ!と思いました。私も形だけのreligiösになってはいないか、と自分を振り返らされました。


2007年6月3日
前回書いてからすでに1ヶ月半も経ってしまいました。
ヨーロッパに住んでいる日本人クリスチャンたちは毎年夏に集まって集会をしてますが、今年はミラノに集まります。私はその中で、子どもたちにメッセージを語らせていただくことになりました。テーマは十字架。いろいろ思いめぐらせている内に導かれたのが「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」という聖書の言葉でした。「イエスの十字架が天国へ続く道であって、イエスの十字架の道を通ってでないと天国へ行けない」と思った時、大きな十字架の上に私が寝っ転がって、その上を子どもたちに歩いてもらう、というのはどうだろう?と思いました。子供ならいざ知らず、大人ならば「人を踏みつけにしていくのは嫌だ」と思うでしょう。そう思った時、「私は人を踏みつけになんてしていない」と思いたい、自分の姿に気付きました。しかしイエスは「私(十字架)を通してでなければ、だれひとり父のみもと(天国)に来ることはありません。」と言われたのです。そこで「私はイエスをこそ踏みつけにしているのだ」と気づかされ、私を天国に行かせるために、私の足の下で踏まれてくださっているイエスの姿を思い、感謝があふれてきました。


2007年4月19日

以前から「最近思ってることなどを少しずつこのコーナーで紹介していけたらな~」と思ってましたが、なかなか実行に移せず、今日まで来てしまいました。・・・というような状態ですから、きっとそんなにしばしば書けないでしょうが、ようやく重い腰を上げました。
春ですね。今年は暖かく、春も早いです。サマータイムになっても、復活祭が来ても、「春はいまだいずこ?」という例年ですが、今年は、サマータイムが始まると同時に一気に明るく、暖かくなりました。そして花、花、花・・・・。嬉しいですね。木々も柔らかい葉を見せ始めました。冬の間、枯れたようになって、死んでしまったように見える木々も、春になると、必ずまた新しい芽を出し、花をつけます。そして、その花はちゃんと去年と同じ花、同じ色なのに、私はいつも驚いてしまいます。桜の花がいつも間違いなく桜の花を咲かせ、「たまには黄色い花になりたいわ」と言うこともなく、やはり桜色の花を咲かせる・・・そこに、天地を作られた、創造主なる神のデザインを見ます。私たちも、神様にデザインしてもらって、特別に作られた一人一人。自分が最高に生き生きと輝ける花を咲かせたいものです。



連絡先

TEL,FAX: 040-2851 5246

Friedensallee 102a
22763 Hamburg

e-mail; liebehayumi@yahoo.co.jp





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